ボートレース 男女対等に戦えるプロスポーツ

「水上の格闘技」とも呼ばれるボートレースは男女が一緒に戦うプロスポーツで、全国に約1600人いるボートレーサーのうち約240人が女子レーサーだ。東京支部の中村かなえ(28)は女子大で国内トップの偏差値を誇るお茶の水女子大の理学部化学科を経て、この道に飛び込んだ。今年1月からはA級(A2)に昇格。頭角を現してきた〝リケジョレーサー〟にボートレースの魅力などを聞いた。

異色の〝リケジョボートレーサー〟中村かなえ

大学院進学決まるも

中村がボートレースと出合ったのは小学1年生のときだった。母とともに自転車で出掛けた際、土手からボートレース江戸川のレースを見て「大人になったら、ああいう人になりたい」と思った。

文武両道をうたう都立駒場高では軟式テニス部で汗を流しながら学業でも好成績を残した。ボートレーサーのことは頭の片隅にあったが「理系の勉強が好きだったので、理系の研究者か薬剤師や理系の仕事に就きたいなと漠然と考えていました」。そして〝リケジョの聖地〟お茶の水女子大理学部に進んだ。

お茶の水女子大理学部化学科からボートレースの世界に飛び込んだ中村かなえ

転機は大学4年のとき。大学院への進学が決まり、「水とアルコールの水素結合の関係性」に関する卒業論文に取り組んでいたときに、就活情報誌を見ていた先輩からボートレーサーを募集しているということを聞いたのがきっかけだった。「そのときにボートレーサーという職業が国家資格だというのを知りました。1年間の養成機関を出ればプロになれるということで、すぐに願書を出しました」。

憧れていたものの〝私には関係ない〟と決めつけていた職業が自分でもなれる可能性があることが分かり、大学院ではなく、ボートレーサー養成所に進むことを選んだ。

全寮制の養成所では、不屈のプロフェッショナル精神を磨く教育が行われている。「そのときは楽しいとは思えなかったですね。規則もそうですし、時間とか日々の生活とか何から何まで厳しいので」。だが、ここを卒業すればボートレーサーの資格を得られると思えば耐えられた。「普通に生きていたら、こんなに厳しく規則正しい生活をすることはないはずで、いい経験だったかなと思います」。卒業すると、そう思えるようになった。

スポーツ経験がなくてもボートレーサーになっている選手もいる。さらに、女子でも男子に交じって活躍できる。「最近は女子戦も多いですが、男女混合だと制限体重の軽い女子はかなり有利だなと思います。体重が軽い分、しっかりスタートで行ければ通用するので。男女対等に戦えるのは珍しくていいなと思います」。中村は得意のスタートの速さを武器に、「こんなに早くなれるとは思っていなかった」というA級に昇格した。

学生時代から勝負好き

負けず嫌いの中村は、学生時代から〝勝負ごと〟が好きで、勉強も勝負と捉えて頑張っていた。それだけに、ボートレーサーとなった現在も「勝負が楽しい」と一つ一つのレースに向かっている。高校や大学での勉強は直接ボートレースには関係がないが、継続してきた努力はレーサーとしての進化にはつながっている。

高校時代の中村(左から2人目)

「研究では結果が分からない未知のものをコツコツと地道にやっていました。〝なんでこうなるんだろう〟〝じゃあこうかな〟とやってきたことは、(ボートの)整備やプロペラ修正などに考え方としては生きているかなと思います」。スタートが速いのも水面や風の状況をしっかりと分析できているからだ。
自身の道のりを踏まえ、高校生にメッセージを送ってくれた。

「自分は軟式テニスのプロになろうと思っていたわけではないですが、試合に勝つために頑張っていました。夢がない人はいっぱいいると思いますが、部活でもテストでもバイトでも、何か頑張っていれば絶対に意味があります。目の前の何かに頑張ることは、どんな仕事に就こうと生きていくと思います」。

A級昇格の次は優勝

A級昇格を果たした中村の次の目標は「まずはレースで優勝したい」ということ。目の前の目標を一つ一つクリアしながら、トップレーサーへの道を進んでいる。

〝スター候補〟江戸川フレッシュルーキー

中村 かなえ(なかむら・かなえ)
1993年(平5)9月4日生まれ、東京都出身の28歳。都立駒場高―お茶の水女子大から、2016年10月に第121期選手養成員としてやまと学校入所。17年11月9日、平和島でデビュー。初勝利は19年3月14日のまるがめ2Rで、デビューから214走目だった。スター候補選手であるフレッシュルーキー(登録5年目以内)には、21年に続き今年も江戸川から選出された。趣味は旅行、スノーボード。登録番号4998。1㍍61、45㌔。血液型A。


SG制覇 遠藤の歴史的快挙に「いつ見ても強い、驚かない」

遠藤エミ

女子レーサーの遠藤エミ(=滋賀)は、3月の「第57回ボートレースクラシック」で女子史上初のSG制覇を果たした。ボートレースで最も競走格付けが高いのがSG競走で、原則としてA1選手しか参加できない。1952年に初の女子選手が登録されてからちょうど70年。新たな歴史を刻む快挙にも、同じ女子レーサーの中村は「遠藤さんはいつ見ても強いから、驚かないというか、ついに優勝したんだなと思いました」と当然のことのように受け止めていた。

中村のほかにも まだまだいる
都立高出身&異色の経歴ボートレーサー!

都立高出身

元ライダー 山田亮太 31歳で養成所に入所

山田亮太

中村の他にも都立高出身でボートレーサーとして活躍する選手はまだまだいる。都立南平高出身の山田亮太(43、写真)はオートバイの国内最高峰シリーズ全日本ロードレース選手権GP125に04年から参戦した元ライダー。08年に同クラスで初勝利を挙げ、ランキング5位。09年にも1勝し、ランキング2位とトップクラスの活躍を見せた。10年に31歳でボートレーサー養成所に入所。17年6月にはデビューの地ボートレース多摩川で初優勝を飾った。

ベテラン勢では長岡茂一 最高峰SG2勝

長岡茂一

ベテラン勢では最高峰レースのSGを2勝している長岡茂一(56、同)や、20年にPGⅠマスターズチャンピオンを制した村田修次(48)も都立高出身のボートレーサーだ。ボートレーサーは数あるスポーツの中でも選手の息が長いことで有名。上は70代から下は10代の選手が同じレースで競っている。

異色の経歴

法大卒 渡辺雄朗 公認会計士から一念発起

渡辺雄朗

ボートレーサーには変わった経歴を持つ選手も多数いる。渡辺雄朗(36、写真)は法大人間環境学部在学中に難関と言われる公認会計士試験に合格。卒業して会計事務所に就職したが、理想とのギャップを感じ、一念発起してボートレーサーに。18年に江戸川フレッシュルーキーに選出。20年4月にボートレース戸田で初優勝を飾った。同期には白百合女子大卒の富樫麗加や関西大卒で、最高峰のSGでも活躍する山崎郡らがいる。

水球 倉持莉々 ポセイドンジャパンで活躍

倉持莉々

倉持莉々(28、同)は小学生から水球を始め、中学時代には全国制覇も経験。高校2年で水球日本代表に選ばれ、ポセイドンジャパンの一員として活躍した。その後父の影響もありボートレーサーを目指したが、ボートレーサー養成所入所式の日(自分の誕生日でもあった)に悪性リンパ腫で入院。一度は諦めたボートレーサーへの道だったが、奇跡的に回復し1年半後に再入所を果たした。今年の1月にボートレース徳山で初優勝。5月末に最高峰レースSGオールスターに初出場し、トップレーサーの仲間入りを果たした。